パイプの城

少年が1人、波打ち際で城を建てていました。
土台をつくるさなか、少年はこう叫びました。
「あぁ、なんていい土台だろう。きっと大きな城ができるに違いない。仮に組んでもこんなにがっしりとしている。いいものを見つけたものだ。」
少年は、森に入った時見つけた、錆びかかった鉄パイプを海の近くに運び、せっせと仮組みをしているのでした。
少年が満足げに休んでいると、ふと、後ろから声が聴こえてきました。
「でもそれ、錆びてるじゃない。」
少年がびっくりして後ろをふりむくと、いつからいたのか、目に影を潜めた少女が、海の遠くの方を眺めながら立っていました。少女は作りかけの土台を一瞥し、こう続けるのでした。
「それでむかし城をつくった人がいてね、でもうまくいかなくて自分で自分の城を壊してしまったの。きっと脆い城ができるに違いないわ。」
少年はそれを聞いてすこしムッとして、こう言い返しました。
「そんなの、建ててみないと分からないじゃないか。こんなに精密に造られているんだ、きっと昔の人からの恩恵に違いない。ほら、いい音だってするし。」
コンコンッと鳴らしながら、少年は鉄パイプの良さをなんとか伝えようとしました。
「あなたがつくりたいのなら、そうすればいいわ。けどそんな材料、とても土台には向いていない。私のすむ町ではそんなこと、当たり前のことなんだけれどね。ご忠告だけしておくわ。」
そういって、少女はスタスタと、町の方角へと歩いていきました。

残された少年は、すこし黙ったあと、その土台の方を見ました。
たしかに、錆びていました。
「なんでこんなことしてんだろう。」
少年は落ちていた金属バットを手に取り、それを思いきり鉄パイプに振り下ろしました。
ガィンガィンと、不協和音が響き渡ります。
それを聴いた町の人達が、なんだなんだと此方にやって来ました。
そのうちの1人は皆に聞こえるように、こう叫びます。
「なんと滑稽なさまだ!さあ、カメラに収めて町の見世物小屋にでも貼ってやろう。客寄せになるぞ。」
「見るんじゃない、俗世の民め。何を吹聴されたかは知らないが、少なくともあなたがたを愉悦に浸らせるほどの道化を演じる技量など持ち合わせてはいない。さぁ芝居はお終いだ。暗くなる前に帰るといい。もうじき夜のしじまが来るだろう。」
少年は睨みつけながらそう言いますが、その様子ですら、カメラは無情にも、写すのでした。

ゲラゲラと笑いながら町へと戻る民衆を見送り、少年は暗い海のそばでひとり、立ち尽くしていました。
「............。今日は、冷えこむかもしれないな。そうだ、暖をとろう。たしか、置いてあったはずだ。」ガンッ
少年は、暗い足元に転がった鉄パイプに足を取られ、前のめりに倒れました。
膝に、温かい感触が広がります。あぁ、またやってしまったな。
少年はそう呟くと、ぼやけてしまった視界を拭いて、またひとり、夜の中、灯りを探すのでした。

夜〜朝にかけて

言葉は容易に嘘がつける。私は無意識に嘘をつく。かといって考えて言葉を選んでも本質から遠ざかる。だから直感で書く。

 

怖い。他人を無意識下で自分の杓子定規で測っている自分が怖い。『自分のものさしで他人を測る』という行為が、悪であると感じる。

善か悪かというのは二元論思考だ、鬱になる。

呪詛を素直に受け取りたい人間がどこにいるだろうか。この文章は呪詛だ。悪感情を凝縮させている。稚拙な文章構成と、無駄に漢字の多い、馬鹿の一つ覚えのような駄文。それが僕の吐く言葉達だ。

孤独を恐れるあまり、他人に配慮した文章を無意識のうちに書く。いや、文章とはそもそも伝達のためのツールであり他人がいてこそ成立するものなのだ。それならば独白や誰にも読まれない日記、自伝などはどうなのだろう。僕の推測ではそれは祈りだ。不器用なりに、「他者と関わりを持ちたかった」と嘆く祈り。もしくは本当に誰にも知られたくない、しかし覚えておきたい純粋な気持ちの動きだ。あの時どんなことを思っていたんだろう、を叶えてくれる。

人は基本的に考えることをやめない動物だ。ドイツの人等のように生真面目な性格であればあるほど、その考えは洗練され時代に残されていく。

そして、それは忘れ、もう一度思い出し、次第に長期記憶にインプットされる。そうすればもう何度だって気軽に思い出せる。雰囲気で掴める。

脳内の他者が、叫び声をあげて僕に怒っている。名前を呼ばれている。怒号だ。

twitterで気軽にいいねをもらえるなんて女はいいな。男だったら確実に性欲が深層心理に眠っている。恋とは美化した性欲だ。僕が純粋?あなたがそう思いたいからそうなんだ。その独白を治せばいいのに。直接的な下ネタキモイ。愛されたいが為だけのいいね爆なんじゃないの。そんな自己顕示欲満々で書いてもFacebookじゃないんだしモテないよ。

 

あ、起きた。今日は市役所に行く日だ。忘れた。やなこと忘れてる。思い出したくない、読み返すのは最低限にしてアップしてみよう。

暗い大学の時の話。

思うに、大学に入学直後の苦しみは『こんなに人がいるのに、深く親密な人は誰1人いない』だったのかなと思う。

他の友人は、進学後も高校の友人と遊んで徐々に進学先に慣れていったらしいのだが、無知な私は「心機一転大学デビュー!」なーんて考えて、気持ちだけ大学デビューで、無事孤独に陥った。二度目の大学も、何の成長もなく孤独に苛まれ辞めた。

友達をつくる努力はした。

実際同性の友達は二回とも出来た。

ただ感情がごちゃごちゃで、友人同士の気楽な会話なんて出来なかった。セロトニン不足で。

寝てないときの、独白

インターネットには感情の渦が溢れている。

常態で見ればなんでもないものも、涙もろくなっていたり鬱になっていたりカリカリしていたりすると他者の思惑に引っかかってしまう。

他者の感情というのはきりがない。

全て受け止めていたら人生が終わってしまう。

私の感情でさえとめどないのだから。

だから、正直自分に全くもって関係のないことを呟いていたり、ひどく品のない言葉を使う人がいるとそっと身を引く。

私の許容の器が狭いのはその通りなんだけど、

私は直接的すぎる下ネタとか大嫌い。

肉体は動作的な性を求め、

心はプラトニックな愛を求め、

頭は恋愛が理解出来ず楽しさを求める。

まぁ、戯言だけどね。出典もないし。

 

あぁどうか、僕は僕を助けて。私は何もできやしないから...

8月1日 帰宅中の思い

今週末の精神的疲労が残っているせいか、今日は力が入らない。普段もこのくらい落ち着いているといいのだが。しかし頭も働かないあたり、本当に疲れているのだろう。頭と心と体の関係についての疑問は、まだある。しかし以前より幾分かは知識がついた。ニーチェは、精神を"小さな理性"と呼び、肉体を"大きな理性"と呼んだ。「小さい理性(精神力)で己を保とうったって、無理があろう。体を動かすのを忘れるな」そう、言われている気がした。

 

人との関わり方は、やはり時おり気になるところだ。アドラーは"すべての悩みは対人関係の悩みである"と言ったくらいだし。

最近人と話す機会が増えたように思う。今まで話したくても話せなかったことを言えるのはとても心地良いものだ。このまま、健常者のするように"落ち着いて個人の深い話が出来る"人になれるとCOOLでよいのだが。まぁ、まぁ。

とてもいい兆しだな、と思う。一つ一つやっていこうと思う。

生きていることに対する主観

生きている人間は、それぞれの役割の中で、遊んでいるだけだと思っている。

死んだら身体は堆積土とかと同じように何も無い地球の塵に戻るだけで、死後の世界とか神とかいう概念は生きている間に人の頭の中で創った幻想だと思っている。

愛は、心に一定時間人物像を存置させることだと思っている。

自分を愛せなかった昨日。

翼をもがれた命は、

投げ捨てられた翼を拾って、もう一度くっつけようとしました。

その時、ひよこがやってきて、餌がないと言うので心臓を食べさせたところ、不味いと言って去っていきました。

収縮、心痛。無意識を捧げることしか出来なかった僕の弱さです。

もう嘔吐く他ありませんでした。

不味いと言われたのは僕の心です。

食べさせてはいけなかった。

宝箱を自分で捨てたようなものなのです。