夜〜朝にかけて

言葉は容易に嘘がつける。私は無意識に嘘をつく。かといって考えて言葉を選んでも本質から遠ざかる。だから直感で書く。

 

怖い。他人を無意識下で自分の杓子定規で測っている自分が怖い。『自分のものさしで他人を測る』という行為が、悪であると感じる。

善か悪かというのは二元論思考だ、鬱になる。

呪詛を素直に受け取りたい人間がどこにいるだろうか。この文章は呪詛だ。悪感情を凝縮させている。稚拙な文章構成と、無駄に漢字の多い、馬鹿の一つ覚えのような駄文。それが僕の吐く言葉達だ。

孤独を恐れるあまり、他人に配慮した文章を無意識のうちに書く。いや、文章とはそもそも伝達のためのツールであり他人がいてこそ成立するものなのだ。それならば独白や誰にも読まれない日記、自伝などはどうなのだろう。僕の推測ではそれは祈りだ。不器用なりに、「他者と関わりを持ちたかった」と嘆く祈り。もしくは本当に誰にも知られたくない、しかし覚えておきたい純粋な気持ちの動きだ。あの時どんなことを思っていたんだろう、を叶えてくれる。

人は基本的に考えることをやめない動物だ。ドイツの人等のように生真面目な性格であればあるほど、その考えは洗練され時代に残されていく。

そして、それは忘れ、もう一度思い出し、次第に長期記憶にインプットされる。そうすればもう何度だって気軽に思い出せる。雰囲気で掴める。

脳内の他者が、叫び声をあげて僕に怒っている。名前を呼ばれている。怒号だ。

twitterで気軽にいいねをもらえるなんて女はいいな。男だったら確実に性欲が深層心理に眠っている。恋とは美化した性欲だ。僕が純粋?あなたがそう思いたいからそうなんだ。その独白を治せばいいのに。直接的な下ネタキモイ。愛されたいが為だけのいいね爆なんじゃないの。そんな自己顕示欲満々で書いてもFacebookじゃないんだしモテないよ。

 

あ、起きた。今日は市役所に行く日だ。忘れた。やなこと忘れてる。思い出したくない、読み返すのは最低限にしてアップしてみよう。